僕の人生は一度きりだから、
やりたいことがやれるのならやって死にたい(爆)
今の自分の姿というものは、
今まで自分が決めた道を進んできた結果ということ。
そう自分に言い聞かすんです(爆)
自分で決めてきたことが不幸だと感じるんだったら、
それはすごく悲しいことです。
若者よ。
希望はたくさんあるよ。
「自分の人生は不完全燃焼だった」と感じているなら、
いやいやまだまだ人生は終わっていないはずですよ。
「あきらめない」
「あきらめちゃいけない」
さてどうでしょう?
僕のブログを見てからどのくらいが経ちますか?
今始めて見るって方もいると思います。
どうです?
何か気持ちが揺れましたか?
今日は僕なりのお金の捉え方を書いてみます。
ふと、学生時代の頃を思い出してみますと、
当時、高校を卒業してから初めて自分で稼ぐということを覚えます。
それは、大学受験も終わった高校3年生最後の春休み。
やっと受験戦争から解放され、
親からもバイトをやってもいいとOKが出ました。
今までバイトをしたことのなかった僕は、
家の近くにあった清掃会社の新聞広告を見て面接をし、
アルバイトすることになりました。
1ヶ月の短期間とは言え、
初めてに近い社会勉強に緊張や不安、期待など、
ドキドキしていました。
日給8,000円。
朝は7時までに出社して、
その日の出張先の割り当てがあって、
社員の方に同行して作業をするものです。
銀行やオフィスのフロアの清掃、ワックスがけや、
幼稚園の教室や廊下。
もちろんトイレもあります。
おしっこのほうに「う○こ」がしてあって爆笑したこともありました。
工事現場の清掃もありました。
2000人とか入ってる大規模な工事現場のお昼休みには、
一定の作業員達が暗い地下駐車場の休憩場所で「花札」をやってました。
お札が飛び交う。
そんな見てはいけないものを見たこともあります。
きつい
汚い
安い
高校3年間を片道30分の自転車通学をしていた僕は、
体力にはそれなりに自信がありましたが、
このアルバイト自体は1ヶ月の短気なので頑張れましたが、
結構しんどかったのを覚えています。
長年ずっとやっている社員の方は相当忍耐強いのかなと若い僕は思っていました。
それでも初めてお金をもらえる期待感と何かの役に立っている感覚が、
僕に程よく高揚感を与えていました。
1ヶ月のアルバイトを終えた私にはその報酬として150,000円ほどのお金をいただきました。
何も知らない私はとても嬉しい気持ちでいっぱいでした。
今思えばそれはこれから始まる貧乏ルートの入り口だったのかもしれません。
それからの僕は大学生活をやりながら沢山のアルバイトをしまくりました。
引越し、新聞配達、倉庫、ピザの宅配、古本・中古CD・中古ゲーム屋、イベント会場設置、駐車場管理、チラシ配り。
稼ぐことにものすごく楽しさを覚えた僕は、
この負の思考にどっぷりとつかりました。
稼いだお金は貯金することもなくどんどん使いました。
また働けば貯まる。
そう思っていました。
そのお陰ですっかり時給という世界に支配されていった僕は、
その呪縛からなかなか逃れることはできませんでした。
固定観念や習慣とは残酷なもので、
それが自分の目指すことの足かせになっているということに、
全く気がつかないのです。
学生時代の150,000円は大金です。
でも社会人となってからの150,000円は少ないお金です。
その思考は社会人になっても続きます。
すっかり貧乏思考へと育まれた僕は、
なんとなく社会人生活を送ります。
休みも無く忙しくしていましたが、
実家生活のお陰でお金はどんどん貯まります。
しかし、それは学生時代の延長のようなもの。
時給でない会社員の生活にもやる気を起こせない時でもありました。
そうして僕の10年というの負の社会人生活が始まったのです。
これは社会問題になってますよね。
求人も少ないかもしれませんが、
20年間教育された社会人初心者の思考が問題になっているのかもしれません。
僕も見事にそれにハマりました。
雇う人、雇われる人。
この世界にはどちらも必要なんです。
人が協力しあわなければ大きなことはできません。
しかし、その収入格差はとてつもなく大きいものとなります。
長者番付の上位は大手企業の社長会長クラス。
雇われの人が上位にくることは皆無です。
時給的な発想では上位に行くことはできないんです。
大きな収入を得るには時給とは分離した発想が必要。
収入源を自分の手のかからないところに作ることが必要。
時給をあげることに比べたら楽なものだと思います。
会長が福岡の田舎の店舗でレジ打ちをすることはおそらくありません。
しかし、そこでレジ打ちされた売上のいくらかは会長の収入源にもなっています。
激しい受験戦争を突破し、
激しい出世争いをくぐり抜け、
そしてよぼよぼの老人になるまで続けて、
果たしてどれだけの人が時給1万円の世界にたどり着けるでしょうか。
病気や事故で働けなくなったときに企業はどこまで面倒を見てくれるでしょうか。
学生時代から教育された決められたレールや小さな発想でたどり着ける終着地点とは小金もちが限界です。
東京大学を出て年収1億円に達する人がどのくらいいるでしょうか。
それが悪いことではありません。
やりがいがあって、幸福を感じて、満足しているのならいいと思います。
自己労働以外の部分で収入が発生すれば、
ほとんどの時間を自分の思い通りに使うことができます。
遊んでもいいし、旅行してもいいし、やりたいことをしてもいいし。
それこそやりたい仕事をしてもいい。
お金のことを気にしなくてよくなります。
そして、間違いなく時給をあげることより、
収入源を増やしていくほうが簡単です。
医者になるのだって医大を出て数年の修行が必要です。
ネットビジネスでは半年から1年で100万や200万を稼ぐ人は沢山います。
お金に自由になる為には、
自分が労働して稼ぐという構造を変えなければいけません。
お金に働かせ仕組みに働かせ人に働かせ物に働かせ、
という風に自分の労働以外の部分で収入を発生させるのです。
もちろんのことですが、
知識が無ければ人を使うこともできませんし、
お金が無ければ不動産を運用することもできません。
収入を発生させる仕組みも作ることができません。
まず初めにすることは、
収入を作る方法を学ぶび、
収入の発生源を作る。
そして収入の一部を運用資金として活用する。
このような流れになります。
お金にさらにふやす為には、
「時給」という概念を捨て去り、
自分の代わりに収入を発生させるものを作る努力をしてください。
収入を増やすということを、
時給を上げたり仕事を2つ3つと増やしたりとことをやってしまう人は、
僕のようにとんでもなく時間をロスするか、
あるいはずっとお金を得ることができない可能性が高いので気をつけてください。
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