こんにちは、はじめまして。
まっくすと申します。
2011年の3月までは、負け組み街道まっしぐらの貧乏サラリーマンでした。
やりたいことが見つからず、
ずっと得体の知れない謎の希望を探していました。
そもそもアフィリエイトの存在は知ったのは20代前半でしたが、
その頃の僕はそれほど将来に強い危機感を持ってませんでしたので、
すぐには取り組むことはありませんでした。
20代後半になってから知人がやっていたこともあって、
もしかすると稼げるのかな??
と、なんとなく取り組み始めたのです。
右も左も分からずやり始めたので、
最初は成果も全く上がりません。
遊び感覚なのか片手間と言うのか分かりませんが、
当初は本気で取り組むっていう感じではありませんでした。
簡単に少しでもお金が入ればいいかなという感じ。
成果はないんですが、何となく続けてはいました。
今思えば我流って恐いなって思いますが、
その当時は何も分からなかったので、
「アフィリエイトをするにはホームページを作らないといけない。」と思い込み、
一生懸命ひたすらHTMLの勉強からやっていました。
そんな感じで前途多難なアフィリエイト活動は始まりました。
祖父や知人の影響から、
いずれは脱サラして起業したいと思い、
20代半ばくらいから目標を持ってサラリーマンをやっていました。
それから数年後の33歳の時に独立は実現します。
サラリーマンの極貧環境に嫌気がさし、
もう時間がないなという気持ちがありました。
最初は電気関係の仕事で脱サラし独立しました。
業務委託の仕事でしたが、
これまでとはうってかわり、
仕事の環境も取り組み方も変わり、
収入も大幅にアップし、
それこそ人生が変わりました。
ただ、以前から取り組んでいたアフィリエイト成果も少しですがありました。
本格的にアフィリエイトに取り組んだのは独立後からです。
せっかく独立を果たしサラリーマンに戻る気もないので、
電気の仕事をやりながらネットでお金を稼げないかと本格的にアフィリエイトをやり始めました。
独立をしたと言ってもいきなり稼げるわけでもありません。
そして稼げるようになっても何となく限界のようなものも見えてきました。
サラリーマンの時よりもいいですが、
独立したからと言って大金持ちになれるとかはなく、
どんな環境で独立したかにもよるでしょうが、
小金持ち程度で終わると感じました。
そんな理由もあって他の収入源を探すようになったのです。
アフィリエイトでも成果を出せるようになり、
現在では既に収入も安定し、比較的やりたい生活をしています。
教材も発売することができましたし、
ネットビジネスのアドバイスもさせていただいています。
ここからは僕のことをもっと知ってほしいので、
簡単に私の過去をお話しますね。
生まれも育ちも九州の福岡です。
もっと詳しく言うと福岡市の南区生まれ。
O型のおとめ座。
2~3歳の頃には頻繁に家を脱走し、
色々な場所に勝手に遊びに行き親をよく困らせたそうです。
よく迷子になり、警察にもお世話になったそうです。
記憶には無いですが、
オムツいっちょで徘徊している幼児がハサミを持っているという
なんとも信じがたい話を母から聞いたことがあります。
そんな活発な幼児は小学生に上がるタイミングで
祖父母の住んでいる糟屋郡粕屋町のほうに引っ越しました。
そこで小学生~大学生まで過ごすことになります。
なので社会人になるまでの人生ではこの時代(育ち)が一番長く、沢山思い出もあります。
小学生の時は、田舎育ちの為か運動神経はまあまあよく、外でも良く遊んでいました。
勉強は全くしてませんでしたね。
また、ちょうどファミコンが出た時代だったので、完全にファミコン世代です。
ファミコンをするようになると友達と毎日のようにやってましたね。
それでも山に登って探検したり、川に行って魚とりやエビ捕まえたり、
コイ捕まえたり、釣りしたり、結構外で遊んだ記憶もあります。
小学校のクラスでは目立たないほうの部類だったと思います。
クラスの人気者とか、班長とかクラス委員とかリーダーとかは嫌いなタイプでした。
これまでも同窓会というものに行ったことがありません。
誘われないのか、そもそも同窓会がないのかは分かりませんが…。
小学校卒業後はそのまま隣にあった中学校に入って
部活(弱い軟式テニス部)もやりながら中学生活をしました。
中学1年の時には、勉強に全く興味が無かったのですが、
なぜかふと新聞広告にあった塾に入りたいと自分で親に言って入りました。
その頃から受験戦争というか勉強をやらなければならないような状況になり、
いわゆる大多数の人と同じように型にはまったようなレールに乗り、
教育されていくことになります。
部活も引退してからは、本腰を入れて勉強をしました。
塾に入るまでは宿題以外は勉強なんてしたことはなく大変でしたが、
何となく自分の将来の事を考えるようになり、
漠然と多少レベルの高い高校に行かないといけないのかなって思ったからです。
目指すべき高校が決まると色々と見えてきます。
自分がそのレベルに到達しているかどうかなんて、
勉強やテストをしていれば分かります。
だから最低受かりたいと思っている高校のレベルまでは必死に勉強していたと思います。
中学時代の多感な時期の高校受験の思い出は、
自分の人生の中でもとても大きなウエイトがあります。
私立高校を先に受験し、
その後、公立高校を受験しました。
第一志望はもちろん公立高校です。
私立高校は滑り止め。
理由は、
公立高校の方が偏差値も高く、
また、学費もはるかに安いということがありました。
たぶん何とかなるだろうと甘い考えもありました。
私立には受かっているんだから、
あわよくば公立高校に受かって…
なんて具合です。
ただ、
公立高校の受験日当日に、
私は人生で最も辛い現実と直面します。
合格発表日当日、
公立高校を一緒に受けた仲の良い友人と一緒に高校に見に行きました。
なぜか受かっていることばかりイメージしています。
そして高校に着いて、
外にボードが用意されています。
用意されているのは合格者一覧です。
私は受験番号を探しました。
探しました。
探しました。
探しました。
番号は順番どおり並んでいるので、
何回見ても同じです。
いちお補欠合格者の一覧も見てみます。
…
あるわけない。
想定していたものよりもはるかに大きな、
これまで味わったことのない悲壮感が私を包みました。
今にも泣き出しそうなほど辛いものでした。
私は早々にその場所を一人で去りました。
高校のすぐ隣に駅があります。
駅のホームに立って、
早く電車が来ないかと
とてつもなく焦っていました。
一緒に来ていた友人には会いたくない。
そういう気持ちです。
ひたすら絶望していた私は、
その後のどうやって帰宅したのか全く憶えていないほどでした。
今でもあの挫折感を忘れることはありません。
まあ、ただ、時間が経つにつれて現実を受け止めます。
最低限希望していた高校には受かりましたから。
その何とか進学校といえる高校に受かり、行くことになりました。
男子校です。
東福岡高校。
私立で男子校でマンモス校。
福岡の人なら誰でも知っているような割と有名な高校です。
サッカーなどの運動部が強いので、知ってる人も多いと思います。
OBも沢山です。
特に頭が良いほうではなかったんですが、
2年に上がるときに特進クラスという進学クラスからお誘いを受けました。
いわゆる頭のいい勉強ができる連中が集まるクラスに行きました。
特進クラスに入ってすぐに衝撃を受けました。
初めからそのクラスにいる人達はまさに頭の作りが違うのか。
私とは天と地の差があるほどに感じました。
みんな頭良かったですね。
私はもちろんビリ軍団の一人です。
とても付いていけるなんて思えませんでした。
それでもそういう中で2年間強制的に鍛えられ、
知らず知らずのうちに偏差値も上がっていたようです。
大学も自分に納得のいく地元福岡の私立大福岡大学の工学部電子工学科に入学することができ、
結果的には特進クラスを選んでいて良かったなと思いました。
できないならできないなりに強制的にでも険しい道を選ぶと、
無理やりにでも自分のレベルも上がっていたんだなと、改めて感じたことでしたね。
特進クラスい入ることにビビッていた僕に、
「大変かもしれないけど入って頑張ってみないか」と助言をくれた
先生方に感謝しています。
特進クラスを辞退して下のクラスに行っていたらと思うとぞっとします。
いわゆる受験勉強というものをこれ以上にやっていた時代はありません。
一般的な学力というものは、
この頃が一番あったんじゃないかなって思います。
そして大学に入学して合計で5年間通いました。
普通の人より1年だけ、いや1年も多く通ってしまいました。
遊んだ付けがきたんですね。
大学に入ってからは、
これまで勉強してきた束縛みたいなものが一気に弾けてしまい、
遊びまくっていました。
ダメ大学生の典型的なパターンです。
勉強した記憶は試験前の徹夜の暗記とかです。
思い返すとあの時代はある意味今より自由でした(笑)
時間があり余るほどありました。
バイトも沢山しました。
掃除、倉庫、引越し、ピザの宅配、古本屋、駐車場、・・・、
沢山やることがいいことだとは思いませんが、色々な経験ができてよかったです。
実家暮らしだったので、
バイトで稼いだお金は全て自分の遊び金でした。
15万前後はあったので、
それなりにお金もありました。
バイクも買いました。
旅にも沢山いきまいた。
卒業旅行には四国に1週間ほどバイクで旅をしました。
3月だったのですごく寒かったのですが、
讃岐うどん、四国ラーメン、カツオ、…
出会いあり、野宿あり、宿、コテージあり、…
いい旅でした。
そして、大学を卒業して社会人となります。
大学時代の感覚も抜けず、
社会人としての夢や希望なんかは今思えばほとんど考えていなかったと思います。
俗に言う「ボーっと」している状態です。
趣味になっていたバイクの会社で働くことになったのですが、
すぐに気づきます、趣味は仕事にできないと。
半年で辞めました。
志が低かったんでしょうか。
自分には何ができるのか。
何に向いているのか。
何がやりたいのか。
非常に悩みました。
学生時代にもずいぶん悩みましたが、
社会人になって失業・無職になると急に不安になります。
非常に悩みます。
フリーターというやつです。
その当時、ニートという言葉が当時あったかどうかは分かりませんが。
何かいけないことをしているかのような。
周囲からのプレッシャー。
辞めた当初はいいのですが、時間が経つとなかなか肩身の狭い世界が待っています。
これは無職になった人にしか分からないと思います。
就職は超氷河期と呼ばれる時代で求人がなかったようですが、
地元の企業に運よく就職できました。
そこから地獄の肉体労働が始まったのです。
私の人生や考え方がガラッと変わった時代ですね。
最初はなんとなく働いていました。
週休は隔週で2日で朝から晩まで働いているので、
遊ぶ時間も無くお金もちょいちょい貯まっていき、
仕事は大変でしたがなんとなく生きていました。
そしてそんな生活を半年くらいしていたところ、
仕事先のライバル会社の人に話しかけられました。
「毎朝早くから仕事してるね、稼いでるんだろうね~。」
そんな感じだったろうと思います。
私もなんとなく気になってた人で、
こんなにきつい肉体労働のはずなのに、
どこか輝いて見えていました。
その人とは次第に良く話すようになり、仲良くなりました。
その人は会社員でしたが、別に自分でも仕事をやっていて、
そっちのほうがうまくいっているようで、
そのうち会社も辞めるということでした。
そして色々と話を聞いたり、たまに食事をするようになり、
そこから話が進んでその人の仕事を手伝うようになりました。
もちろん自分の会社には言いませんでした。
そしてそこから様々な社長さんと会うことができ、ビジネスの楽しさを知ることになります。
やはりリアルに社長さんがやっていることを直接聞くことは本当に勉強になります。
学校では教えてもらうことができません。
雇われていては気づくことができない考え方・思考を聞けます。
普通、会社の社長さんは自分の会社の従業員に自分の考え方を全部話しません。話せません。
会社の業績が上がるように、
自分の資産が増えるようにするにはどうしたらいいのかを考えて、
部下や従業員に話していくことはもちろんあります。
(モチベーションをあげるように話すことはあると思います。)
その仕事を手伝うことでビジネス思考を感じ取ることができました。
20代でそんな経験ができてホントに良かったと感じています。
その経験のおかげで、
「いつかは独立してやりたい。」
「こき使われるのはもうゴメンだ。」
と思い、ビジネスの勉強はもちろんの事、それを成功させる為の思考、
沢山の人にあっていろんな経験をしました。
接客やマネージメントなどは別として、
肉体労働で学べることは無かったので会社を辞め(体力の限界も迫っていました…)、
営業、IT、修理業などへの転職を次々としました。
いつかは独立すると決めていましたので、
次々と転職して沢山の経験をしながら再起を図ろうと考えていました。
お金の流れを勉強する為、会計、法律も合わせて勉強しました。
今考えると良く色々とできたな~と思います。
今やれって言われてもできません。
きつすぎです。
40歳くらいで独立できてもいいな~と考えていましたが、
実際は33歳でしました。
自分には自信が無かったので色々勉強してからしましたが、
できる人には20代でも10代でもできると思います。
人それぞれ。
ネットビジネスに関しては、始めることだけは気軽にやり始めて大丈夫です。
簡単なので。
長くなりましたが、
私がこの世に生を受けて独立を目指すことになった頃までざっと話してみました。
簡単に私の生き方が見えてもらえたでしょうか。
ここからは、独立までに会社員として働きながら感じたことを交えながら、
ネットビジネスに軸を置いてお話ししたいと思います。
2010年2月くらいからホームページを作成したついでに、
グーグルアドセンスや物販をしてはいました。
まあ、月数十円~数百円の期間がずっと続いていましたね。
ホームページを作れど作れど収益は上がらず、
はっきり言って稼ぐといった感じではありません。
よくて月数千円です。10,000円いけば良い方。
パソコンをほとんど触ったことのない状態から、
ホント「0」の状態から始めましたので、
時間がかかってしょうがなかったです。
ホームページとはどういう風にはじめれば良いのか。
ドメイン、サーバー、HTML、CSS、何にも分かりませんでした。
しかし、その当時の自分の給料も手取りで月17万円程度。
生活するのでやっとでした。
結婚もしていましたので、本当に貧乏生活でした。
このままでは将来の展望も抱けず、お先真っ暗状態。
何をするにもお金のことを心配していました。
これではダメだとの思いで、
勉強して何とか今までホームページ作成を継続しコツコツ努力を続けていました。
この状況を何とか打破しなくてはという思いが強かったからです。
勉強しながらの会社員しながらでしたので、多少はきつかったでが、
この状況を抜け出すにはこれしかないと気持ちをすえて頑張りました。
その頃の仕事は正社員でしたが、実質は派遣業と同じで、
取引先に出向し業務をしていました。
仕事や給料面でやはり向上したいと思い取り組んでいましたが、
5年ほどしても、自分の会社からはそれほど評価されず、お給料も上がらずでした。
まあ、それも分からなくはないのです。
出向先で仕事してますので僕ののスキルが上がっているのも見せれませんでしたし、
その情報が出向先から自分の会社にあるわけでもありません。
また、大きな企業でもなかったですし、競合他社も何社もあり、
このご時世会社の業績がすごく上がっているでもなく、
そんな訳で、入社して5年で1円も上がらなかったですね。
そうこうしてると、
新入社員が「給料が少ないのであげてくれ」と、
ごねたらしいのす。
そうしたら上がったそうです。
そして、あっさり入社5カ月の後輩は僕の給料を抜いていきました。
業務を僕が教えているのにもかかわらず。
それから、僕は僕の給料を自分が決められる、
独立し自営業という分野に挑戦することになりました。
そうして念願の独立開業を果たすことができました。
独立には満足していますが、
やはりやることは会社員と同じく、朝から晩まで働き、
将来に対する不安はあります。
お客さんからもいろいろな注文があります。
僕の体も1つしかないので、
身をこにして働くのは嫌いではないのですが、
限界があるということが分かりました。
必要なお金を稼ぐために、たくさんの仕事をしてきました。
学生時代はアルバイトも肉体労働から接客まで、沢山してきました。
大学を卒業してからも本職をしながらアルバイトをしたり、
資格取得のために学校に通ったり、
読書に励んだりと、
人生一回きりだと思い何かと忙しく打ち込んできました。
ただこのまま続けても、
これがずっと続くのだろうかという不安があります。
やはり最初はリスクのないネットビジネスを主にしたいと考えました。
アフィリエイトの手法としては、
いわゆるブログ、メルマガがメインで物販とホームページ運営管理です。
現在メインでやっているのはブログとメルマガ運営です。
5~6年はやっているので、
アフィリエイトやホームページ運営に関しては、
ある程度の知識はあるのかなという感じです。
もしかしたら良い情報交換などができるかもしれませんので、
お気軽にメールをしてください。
運も金も知恵も無かった私が、
アフィリエイトで頑張ってきた経験を全て公開しています。
もちろん、私とあなたとは環境が全く違いますから、
私のやり方に挑戦しても稼げるかどうかは分かりません。
ただ、色々とやってきたから分かりますが、
アフィリエイトはリスクなく始められ、
想像以上の利益を生むことができる数少ないビジネスの一つであるのは確かです。
このブログでは、ネットビジネスにおける私の知る限りの情報を、
惜しみなく提供していきたいと思っています。
ネットで収入を得たいと考えている方はぜひ読んでみてください。
私も、読んでも無駄だったと言われたくないですから。
頑張りますよ。
私が現在やっている方法は、全てこちらのメール講座として書いています。
是非読んでみてください。
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では、少し長くなりましたが、読んでいただきありがとうございました。
また、お会いしましょう。