私は親兄弟、親戚、友人、学校教育、
そしてその成長過程において今の私を作り出しました。
集団生活において我を出しすぎることは争いを生む原因ともなります。
成長と共にそう教育され、または経験に基づいて協調性が育まれます。
特に学校や社会は協調性を学ぶ場としてある意味強制的に学ぶことができるところです。
小学生の時に我を押し通し、
わがままだった私は孤立感を感じていました。
そしてそれは修正されていきます。
中学校では不良グループに怯え、
感情を押し殺しました。
高校でも大学受験の波に飲まれました。
大学では仲間を作らないと乗り越えられなかったと思います。
私は社会に出て、
周囲との争いを嫌う人間へと成長していました。
どこかストレスを感じていました。
それが何のストレスかは分かりませんでした。
ただ、私は周囲からの批判を非常に恐れる精神状態になっていたのは間違いありません。
私は社会人になって数ヶ月して、
自分の意思を通そうとします。
それは周囲とは考え方の違うものです。
孤独感を強めます。
表向きはうまく付き合っているのですが、
どこか孤独感があるのです。
人は周囲の意見を気にして行動に制限をかけます。
世間体に恐怖して思い切った行動に踏み切ることができません。
販促会議で全く反対の意見を持っているのにも係わらず、
意見することができない。
友達と遊びに行くときにも、
行きたい所があるのに言いだせない。
恋人に嫌われたくないとYESと言ってしまう。
食べたいものがあるのに言えない。
結婚生活が破綻していても、
批判を恐れて離婚できない。
たっくさんの自分の思いがあります。
1つ言えることは自分を押し殺していては自分の理想の人生を歩むことはできない。
こうなってしまっては人生が台無しとなり、
取り返しの付かない事態となってしまいます。
批判を恐れるということはこれと同じです。
男女年齢問わず、
どこにでも存在するものです。
どんなに権力がある人や偉い人、
立派な人でもあなたの志に文句を言うことは許されません。
批判を恐れすぎてチャンスを逃してしまう人は大勢います。
私にも心当たりがあります。
あなたにもあるのではありませんか?
「もしもあなたがあの時決断していたなら…」
あなたの人生は違っていたのかもしれません。
天使と悪魔がいたとするなら、
問いかけてきます。
「成功したいの? だったら挑戦しようよ!」
「どう思われるか分からないよ。このままでも楽しいし無難が一番だよ!」
親からどう言われるかを気にしてはいませんか?
私もかつてはそうでした。
目標が遠ければ遠いほど、
高ければ高いほど、
あなたは恐怖するでしょう。
言い訳を探してしまうでしょう。
新しいことを始めることに人は批判的です。
その人もやったことがないから。
分からないから。
誰もやったことがないから、
うまくいく前例がないから。
20代半ば、
私は独立を志しました。
周囲との距離を非常に感じました。
それは親兄弟、親戚に至るまでそう思えました。
相談できる人は限られています。
独立していた友人はゼロ。
相談できる人はゼロ。
私は独学で進めていきました。
今だ進化の途中です。
現状維持はいりません。
進化あるのみ。
だから周りに臆することはありません。
それは志とは違うところにあると確信するからです。
一瞬でアイデアが消えてしまいます。
怯えることはそういうことです。
あなたには志があるはずです。
私にも志があります。
目的があります。
それは正当な理由です。
私が世に貢献できる正当な理由があります。
それは誰も汚すことができない理由です。
できない理由はあるかもしれません。
個々に状況が違っています。
ただ、私は人生に目標がなければ意味が無いと感じてしまいます。
だからやる。
目標とは社会貢献ですから、
それは犯罪でも法律違反でも無いですから、
いいことじゃないですか。
だからダメだと言われる筋合いありません。
PS.
子供がおたふく風邪になりました。
丸い顔がさらに丸くなりました(笑)
でも元気なので遊んであげなきゃいけませんでした。
下の子にも移ったかな??