今日は朝から昼まで家の片付けや洗濯などをササッと済ませ、
昼過ぎに何とか子供を寝かしつけました。
奥さんはお昼前に友人のところへお出かけしましたので、
子供を寝かした昼過ぎからが自分の貴重な時間。
迫り来る確定申告に向けて子供とじゃれながらの帳簿付け。
ミスが無いように確認しながら入力し、ある程度キリがいいところまでできたのでちょっと一息です。
収入がサラリーマン給与のみの場合は通常確定申告などまったく気にしていませんでしたが、独立してしまうと毎年2月16日から3月15日の期間に確定申告をすることになります。
1年間の収入を計算して決算書を作り、税務署に行かないといけません。
サラリーマンのときは会社がまとめて社員の確定申告をしています。
そういう部門があります。
ちょっと面倒臭いと思うような作業が続きます。
僕はもともと経理志望で、そのお勉強もしていたので、
この手の作業はまんざらでもありません。
自分の会社の経営状況を見るのは好きなんです。
普通は税理士さんに頼んだりしますが、頼むとお金もかかりますし(一月2万でも年間で24万円)、
個人でやっていて、社員もいませんし、簡単なので自分で経理作業をしています。
自由とはいったい何なのか、考えてみます。
僕はネットビジネスを通して自由を掴み取りましょうとブログでは言ってますが、
そもそも自由って何だろう? なんてことを考えてみました。
一言に自由と言っても、色んな自由があります。
金銭的な自由。
自由な時間が沢山あること。
気持ちの余裕(自由)があること。
一人である自由。
家族がある自由。
縛られるものがない自由、何にも属していない。
サラリーマンではない。
・
・
・
・
などなどあげればキリがありません。
自由とは常識的な範囲で言って自由であり、非常識的には勝手となります。
自由と勝手は紙一重のような気がしますが、明確に線を引くことはできると思います。
自分の勝手だからと言う人もいますが、他に迷惑を掛けては自由とは言えないと思います。
犯罪など自由とは言えませんしね。
自由であるとは同時に自分自身に対して常識や分別を言い聞かせねば、ゆがんだ性格や人間性を崩しかねません。
何かしらの自由を得ることはできますが、視点を変えれば何かの自由を失っていることだってあります。
どの自由を選択していくかは自分で決めることができます。
自分で決めたものに対しては自分で責任を持つべきですね。
ある意味結婚と自由とは間逆のように感じることがあります。
自由とは程遠い気持ちがあります。
制約は沢山あります。
責任も沢山あります。
お金も持って帰らないといけません。
自由ではないなと考えさせられます。
しかし、結婚して得られることは計り知れません。
精神的自由はそこにも潜んでいます。
その行く末には真の自由が待っているような気もします。
数年前、貧乏のどん底と思える時期に結婚し、何もできないことが数年ありましたが、
伴侶がいたから乗り越えられたような気もします。
当時はそう簡単には考えられませんでしたが。
お金が無いということは性格をも蝕みます。
人付き合いはなくなってしまうのに、争いは増えます。
最低限のお付き合いもままならないのです。
世間体が気になります。
お年玉だって上げられないし、結婚祝いもあげられないし、交際なんてないし。
色んなことが無いんですね。
それでは自由とはまるで無縁。
何もしないということでは自由ですが、それではダメなんですね。
その行く末には「死」が待っています。
今は生活できるお金があります。
それは当時の僕から言うと色んなことが自由なんです。
精神的にははるかに楽なんです。
人それぞれ基準はあると思いますよ。
20万あればいい。
50万あればいい。
100万あればいい。
100万あれば結構自由です。
日本で餓死は無いと思っていませんか?
餓死者は年々増加しています。
万引きの年齢は高齢化が進んでいるんですよ。むしろ若年層は減少傾向です。
10代の万引きは自分の好きなおもちゃなんかが欲しくてやってしまいます。
高齢者はお金が無くて、食料品なんかを万引きしてしまいます。
その意味は全然違うんですね。
アベノミクスという造語に根拠の無い安心感を得てはいけませんよ。
現実逃避です。
現実にしっかりと目を向け、どうやったら打破できるか考えて動きましょう。
やんなきゃ変わりません。
自分でもやんなきゃと思っているはず。
過ぎた時間は返ってきません。
お金があったって返ってきません。
もうすぐ消費税あがります。
駆け込み買いなんてバカバカしい感じがするのは僕だけかな。
まあ、買いたいものが決まってるなら買うべきか。
ではではまた次回。